19年生きた猫

ミルルは19年生きた。


出会いは私が12歳の時。猫をどうしても欲しくてしょうがなかった私は母の承諾を得て、最近生まれた子猫の飼い主を探している近所の家を訪ねた。そこにミルルがいた。


てのひらに乗っかるほど小さいその子猫は、まばらな焦げ茶色に黒いトラ柄のキジ猫だった。ひとめ見るなり「ミャー」と鳴いて、しゃがんでいる私の膝にためらいなく飛び乗ってきた子猫に一目惚れした私は、そのままそこのお宅の奥さんに頼んで連れて帰り、名をミルルと付けた。

ミルルは本当に可愛らしい猫だった。
家族みんなでとても大切にしていたけど、しつけに失敗したせいでものすごくわがままに育った。食事やおやつなど、家族が何か食べる時には必ず同じものを与えられるまでせがむ。サンマを焼いてもクッキーの缶を開けても、冷蔵庫からチーズを出しても、ミルルはどんなものも食べたがり、ほんのちょっぴりをお相伴できるまで、鳴き続けた。放っておくと、足元に噛み付いたり爪を立てたりした。家族はミルルがいる限り、テーブルの上に夕食のお皿を並べたまま目を離すことはできなかった。一瞬視線を外した隙にメインディッシュの一部がなくなることが良くあった。

腹立たしいこともあったけれど、甘えん坊で、ひとなつっこくて、いつも隣で寝てくれるミルルがいることは嬉しかった。私は11歳くらいのころオバケとかユーレイが怖くて1人で留守番をすることができなかったのだけど、ミルルが来てくれてからそんなことはなくなった。マイペースで伸び伸びしていて、寂しい時はぴったりそばにいてくれて、虫やトカゲを見つけたら果敢に立ち向かって狩りをするミルルは、頼りになったのだ。

ある時家族で帰ってくると、玄関前にミルルがうずくまっていた。様子がどうもおかしい。時折変な声を出して動かないのだ。そのままケースに入れて動物病院に運んだ。抱き上げた時、いつもより体温が低く感じたこと、お腹周辺が異様に膨れ上がっていることに気づいた。獣医さんの診断は「脾臓がバラバラになっています」。どうやら家族の留守中に車に跳ねらたのだろうということだった。獣医さんの暗い表情を見て、私は相当にひどい状況なのだと理解し、足が震え出した。「できるだけのことはやってみますが‥」という獣医さんにミルルを預けて私たち家族は病院を後にした。お願い、死なないでミルル。神様、どうかミルルの命を救ってください、どうか!!私は必死で祈った。
暗い車の中で、多分みんな泣いていたと思う。 

一夜が明け、再び動物病院に訪れた私たちは、獣医さんの打って変わって明るい表情を見た。奇跡が起きたのだ。「正直、もう助からないと思っていましたよ」と話してくださる獣医さんの隣、ガラスケースの中からニャーと声を上げるミルルがいた。助かったのだ。ミルルが命を救われたこの日のことを、私は決して忘れないと思った。神様、本当にありがとう。

それから、10数年。ミルルは変わらずずっとそばにいてくれた。高校に入学した時、卒業した日。アメリカに旅立った朝、帰国した日。仕事を始めた時、失敗して辛かった日、悲しくて眠れなかった夜、嬉しくて幸せだった時も。いつも、私の話を聞いてくれ、私のおやつを分けっこして欲しがり、私と一緒に昼寝をしてくれた。


ミルルが死んだ朝、私はすでに実家を出ていた。母からメールが入り、ミルルが生涯を終えたことを知った。私は黒い服を着て、両親の家に向かった。お葬式をするために。

ミルルはずっとこの家にいたよね。遠くへはいかなかったよね、だから。それがいい。私たちはミルルがよく散歩をした庭の一角にある、木の下に埋葬することにした。

「本当に可愛かったよね?」誰にいうまでもなく問いかける。だって19年も一緒にいたのだ。あの子は私にとって妹のように大切だった。いや、もしかして姉だったかもしれない。いつも頼っていたもの。遠く異国に出かけても、実家から離れて住んでいても、帰るたびに玄関で迎えてくれたミルル。いつもミルルに会うことが嬉しくて嬉しくて仕方なかったのに。


葬儀を終えて家に入った。そこには晩年のミルルがいつも昼寝をしていたブランケットが置いてあった。そばに寄って手を触れる。こげ茶色と白と黒のまだら模様の毛が付いていた。ミルルの毛だ、この模様は。

私はその場に突っ伏してわんわん泣いた。
ミルル、ミルル。
大好きだったよ。
19年間ありがとう。

Be ambitious, dear friends.

現役英語講師の頭の中。