前略
お祖母さま、お元気ですか。
お祖母さまが天に召されたとの知らせを叔母から受け取ったのは、いよいよ冬が来たと感じたこの季節でしたね。あれから約六年が過ぎました。
長く、美男美女のおしどり夫婦と噂だった(噂の出所はお二人のアルバムを見つけた私でしたが)お祖父さまとお祖母さま。片割れであるお祖父さまが病で先立たれたのは、私が25才の頃でした。70の齢を少し出たばかりのお祖母さまが寂しくなかったはずはないでしょう。それでも2人の娘たち(私の母と叔母)と共に、気丈にお祖父さまをお送りなさいましたね。とてもかっこよかった。ひとりになったお祖母さまを守っていこうと私たち家族は心に決めました。
私は何かにつけ、お祖母さまを訪ねました。お祖母さまを元気づけたいからだと周りに話してはいましたが、本当はもっと単純で、私はお祖母さまに会いたかったのです。なぜなら、大好きだったからです。
ちょうど近くの町で仕事をしていたことを理由に帰りにしょっちゅう寄りました。「お夕飯を食べてお行きなさいな。」と勧めてくださった食事は美味しかった。いいえ、ご飯も嬉しかったけれど、一緒に話す時間が、私にとって何倍も楽しく、大切なひとときでした。
お祖母さまは、常に私の味方でいてくれましたね。私の母をして「あなたは初孫だから、きっと特別なのね。」と言わしめたほど、えこひいきに!働いて数年だった頃の私は、いつも自分の不甲斐なさに失望していました。仕事で失敗するたびに自分を責めて落ち込むか、周りのせいにして文句を言うか、どちらかだったように思います。けれどもお祖母さまは私を責めなかった。それどころか、いつもこう言ってくれましたね。
「Yちゃん、あなたは偉いわ。本当によく頑張っているわね。」
私は全然偉くなどなかったのです。頑張っていたけど空回りで、周りに迷惑ばかりかけていたと今ではよくわかります。けれど、その時のお祖母さまの励ましと慰めの言葉が、どれだけ大きな明日を生きる勇気をくれたか。今も感謝しきれないほどです。
一度、酷く落ち込んでいた日に、半分拗ねたように尋ねたことがあります。
「お祖母さまは、何を根拠にそんなことを言えるの?私はすごくダメな人間なんだよ。」
しかし、特に考えることもせず、お祖母さまはこう答えてくれました。
「あなたがダメなんてことは絶対にないわ。だって、いつも誠実であろうとしているでしょう。私はちゃんと見ているもの。」
私の頬に涙がつうっとこぼれました。自分でも好きになれなかった自分のことを、条件なしに認め、ただ信じてくれる人がいる。それが何と嬉しいことだったか。私はお祖母さまほどの広い心は持っていなかったけれど、いつか、誰かにこんなふうに言えるようになれたらいいな。そうして、祖母への私の尊敬を表したい、と心から願ったものでした。
お祖母さまが逝かれたのは、私が自分の人生に少しは確信を持ててより、しばらくした頃でした。とても寂しかった。けれど同時に、もしそこにお祖母さまがいてくださるのなら、いつか自分も天国に向かう楽しみがあるじゃないかと不思議な希望を感じたのも事実でした。そう、死が別つ悲しみをほんの少しだけ越えるほどに、お祖母さまはいつも私を待っていてくださった温かい存在だったのです。
お祖母さま、私たちはファッション談義で盛り上がる仲間でもありましたね。実は昨日は、クローゼットの中身をそっくり真冬仕様に入れ替えたのですよ。お祖母さまは京女で、とてもお洒落な女性でしたよね。二人で外で食事をした時、実に小粋で素敵な召し物をしたお祖母さまが、あちこちから度々と声をかけられていらっしゃったことを、ちょっぴり自慢に感じていたものです。
「今年はこんな色を合わせるのが流行っているんだって。」と分かち合えないのは残念だけれど、私が私でいることをただ信じて慈しんでくれた、敬愛するお祖母さま。在りし日のその姿を思い出すことは、私にとって、今でもとても誇らしくて幸いです。本当に、本当にありがとう。
大好きな祖母へ。いつかまた、会えるといいな。
草々
Y
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