せいちゃんに捧ぐ

せいちゃんとは知り合って15年以上経つ。


共通の友人がいたので、10代の頃からなんとなく互いに存在は知っていた。別々の高校に通っていた幼なじみRが「せいこがこう言ってて」とか「せいこと同じクラスになって」とか、せいちゃんの名前を度々出してくれたことが一番古い記憶である。高校2年生くらいだっただろうか。Rを通して聞くせいちゃんは、しっかり者の良い友達なんだなという印象だった。


私たちはそれから8年ほど後、顔を合わせることとなった。Rの紹介で彼女が私の教えるスクールに生徒として来てくれたのだ。以後11年間という長い期間、彼女は私の元で学び続けてくれた。


せいちゃんが学び初めて7年目頃だったと思う、2人で「m」というカフェダイニングに行った。それまでもほんの時々、お茶やランチをすることはあったけれど、この夜のことを私は生涯忘れないと思う。共に学んで7年という長い時間を過ごしてきたはずなのに、私がせいちゃんと学習以外の深い思いをシェアしたのは、あの時が初めてだったのだ。せいちゃんは医療に関わる専門家だった。人の生き死にに関わる仕事は生半ではあるまい。彼女は私には到底想像も付かない世界を語りながら、彼女自身が信じるプロフェッショナルとしてのミッション(使命)とビジョン(未来図)を伝えてくれた。心を打たれた。これほど仕事に対して真っ直ぐな視線と高い志を持つ人が、すぐ傍に居たのかと驚き、また感銘を受けた。医療と教育。私たちは異なる分野で働いていたけれど、人と関わり、己に出来る精一杯を通して、社会に貢献したいとの同じ願いを持っていた。その願いと石窯焼きのハニーチーズピザとを分かち合ったあのダイニングでの夜は、私にとって今もって宝のように大切な思い出である。あの時以来、私は、せいちゃんを尊敬をこめて親友と呼ぶようになった。


実はせいちゃんは2年半前から海外に住んでいる。毎週のように顔を合わせていた彼女が海外への在住を決めた時は、本当に寂しくなるなと思った。けれど、新しい人生のステージを自ら選ぼう、選びたい、と願っているであろう彼女の思いとその勇気を、私も一緒に大切にしたいと心から思った。


物理的な距離が離れても、友情が変わったとは思わない。文明の利器を使用して、相変わらず色んな事を話す。真面目な話しはもちろんだけど、「こっちに来て初めてグラデーションカラーでジェルネイルを自作してみたよ」とのせいちゃんの報告に私は興味津々だし、逆に「今年のハロウィンは"ドクターY"という設定で女医に仮装したよ、受けたよ」というような私の日常の話題も文字と写真で聞いてもらう。来週は、私たちの恒例の「オンラインお茶会」である。せいちゃんが現地で楽しく奮闘している様子をパソコンのスクリーンを通して聞くのは、毎回とても楽しみだ。



そして何よりも。

遠く離れていても、大切な友人のせいちゃんが毎日元気で笑顔でいることを、いつも心から祈る私です。


Be ambitious, boys and girls!


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