当時の「モデルの七つ道具」について。
まずはコンポジットとブックと呼ばれるもの。コンポジは名刺代わり。私が持っていたのは全身が写ったA4程のやや厚手の用紙で、身長、3サイズ、靴のサイズが記載されていた。ブックは資料として持ち歩く分厚いアルバムのようなもの。これまでの仕事を綴っておき、オーディションなどで「過去にこんな仕事をしました。」と宣伝材料に使う。私がいた「K」というエージェンシーは、出来たばかりだったため、オーディション情報がまだ十分回って来なかった。仕事がないということは、資料にする写真が手に入らない。だからモデルたちは個々に仕事を探した。作品作りをしているフォトグラファーやヘアスタイリストとコラボをしたり、ヘアショーやブライダルショーのモデルを手伝ったりしながら、自分たちの宣伝資材となる写真を得た。私もSNSを利用して、あちこちのショーに出演させてもらった。ちなみに完全に個人でSNSのみで仕事を探すのは、安全面からはお勧めしない。「K」のマネージャーは「個人で仕事をとってくることはやっても構わない。けれど、万一何かあってはいけないから、必ず事務所に入ってることを告げること。」とモデル達に名刺をくれた。これにはとても助けられたと今は思う。
次には黒パンプス。革製で、シンプルなもの。エナメルやスエードなんてもってのほか。また、必ずハイヒールと呼ばれるものであること。8cm未満のヒールはパンプスの内に入らなかったのではないだろうか。黒は絶対に所持せねばならなくて、その次必要なのは白だった。黒パンプスはあらゆるショーや撮影の基本となり、白は主にブライダル用に使用した。私が初めて買ったのはピンキー&ダイアンのパンプスだったと思う。実はそれまでの人生でハイヒールを履いたことがない自分がいきなり高さ10cmのパンプスに足を入れたのだ。まっすぐ立てるようになるまでに2週間、歩けるようになるまで3週間かかった。
それから、かぶりと呼ばれる布のスカーフ。これは、メイクをする前とした後、撮影用に借りた服を汚さないように、首の周りに巻き付ける。私は100円均一で手に入れた大きめのつるつるしたスカーフを持っていた。これは軽い防寒になったり、食事の時のエプロン代わりにもなった。それからミニスカートも持ち歩いていた。オーディションの時には「足見せをお願いします。」と言われることが多かったので。ただ、よその会社やオフィスにお邪魔して「着替えさせてください」と頼み辛かった私は、元々ミニスカートを履いておき、トレンチコートなどを羽織って現場に向かったものだ。
後は、メイク道具一式と日傘。仕事によっては「メイクは自前で。」という場合も少なくなかったので、いつでもフルメイクが出来るように準備した。日傘は、「モデルが日焼けをするなどありえないでしょう!」とスタイリストさんに叱られてから常に持ち歩くようになった。
こうして振り返ると、仕事ひとつ取るにもオーディションをいくつも受けてようやく到達できる困難さ。365日、絶対に日焼けはNG(ショッピングモールから駐車場までのわずか50メートルの距離でも日傘を開いた)。その上食事はもちろん、普段の姿勢から歩き方まで、全方向に気を遣って生活していたと思う。かなりのストイックな生活だったけれど、私がモデルを続けられたのやはり、楽しかったからだ。
次は私が実際に経験した、モデルの仕事について。
Be ambitious, boys and girls!
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