プライドが邪魔をする

プライド、という言葉を初めて耳にしたのは小学校の高学年くらいだったと思う。


当時、仲の良かった友人が何かの拍子で「そんなの、プライドが傷つくわ!」と言ったのだ。プライド・・・なんだか分からないが、響きがかっこいいな、と思った。でも、それが何であるかはちゃんと理解はできなかった。


時は流れ、私はアメリカの大学に入学した。

大して英語が得意ではなかった私が外国で学ぶことは控えめに言っても大変だった。協力的なルームメイト、何かと気にかけてくれる寮の仲間達、心の広い教授達・・・彼らのお陰で、課題に取りかかり、レポートを仕上げ、試験に合格し、晴れて卒業式に参加できた。周りの温かい気持ちゆえに卒業できたといっても過言ではない。


しかし、人とはそういう「事実」をすぐに忘れてしまうものだ。


日本に帰国後の私は肩で風を切っていた。卒業が難しいといわれるアメリカで学び、英語を身につけた自分はどんなことでも出来る、自分ほど努力家はいまいと勘違いしていた。

ある日、とある予備校の講師の求人を見つけ、自信満々で面接に参加した。


今思うと、やたら外国かぶれして根拠のない謎の自信で満ちた人材など、企業がほしいわけがない。私はプライドまみれだった割にこれと言って自分の実力を証明できる経験や資格がなかった。大学を卒業できたのも友人や教授達の愛あふれる助けがあってこそできたことだったのに。

そして面接の場でそれを謙遜に伝えていれば何かが違ったかもしれない。「大学時代、論文作りは本当に辛いものでしたが、周りの助けがあって、無事終えることが出来ました。自分が助けられた経験を生かして生徒を指導したいです。」などと言った風に。


でも私は「私はすごい人材だから、私を取ることは御社にとって、非常に益となりますよ」というようなことを言った。思い返すと心底恥ずかしい経験である。当然、予備校から採用の電話を受けることは永遠になかった。


プライドを持つことは素晴らしいことだ。

しかし、研究者として、教師として、芸術家として、医師として、技術者として、サービス業として、…どんな仕事をしても、そこに有無を言わせない実力がなければ、嘘つきかただの見栄っ張りである。薄っぺらい人間にはプライドを語る資格はない。


だから私は伝えたい、生徒たちへ。

かっこいい大人になりたければ、泥臭い努力をすることだ。好むと好まざるかに関わらず、勉強をすること。なぜなら好きなことのみならず嫌なことに取り組む姿勢が、あなたを育てる。あなた自身を強く、賢くする。必ずいつか、唯一無二の実力を手にすることが出来る。覚えておいてほしい。


そして実力があってこそのプライドを持つ人は、なによりも誰よりもかっこいい。


Be ambitious, boys and girls!