昔のことを思い出すってなかなか面白いと改めて感じています。過去の出来事。それは余程強烈なことでない限り、大抵は段々と記憶が薄れて行くものですし、あるいはすっかり忘れてしまっているものも多いでしょう。
今回の『事実は小説よりも。』シリーズ。実はこれ、当初は1つの記事で書き上げるつもりでした。なぜなら、私が書きたかったのは、たったひとつのエピソードだったからです。
そんな風にして、遠い記憶の土を少しずつ掘り返している内に、正に『芋づる式』にもう忘れていた(と思っていた)思い出たちがずらりとその姿を現したのでした。こうなったら、もう、全部書こう!・・・と言うわけで、私の予想を大幅に超えて、今シリーズが長編となったわけです。
しかしながら記事の中で綴られるエピソードは、実は未知などではなく、過去の自分が体験したことばかりです。そのため、当時の気持ちにできるだけ忠実で正確に記すようにしているのですが、それゆえにヤキモキしてしまうのも確かなのです。
例えば、書きながらつい、こんな風に思ってしまう自分がいます。
『そこははっきり言うべきだよ。』『もう少しだけ、視野を広く持ってもいいのになぁ。』『そこまで深刻に悩まなくても大丈夫だよ。』などと。“主人公”に対しておせっかいなアドバイスをしたくなってしまうのです。
もちろんそれは今の自分だからわかることでしょうし、仮に当時の私が今の私の助言を聞くことが出来たとしても、素直に受け入れられたかどうかは怪しいものです。それでいいのです。過去の時間軸で必死に生きていた自分と、今の時間軸を生きている私の視点が異なるのは、当然のことですから。
人は変わるのだなと思います。変わるって悪いことだけではないのですよ。なぜならそれを『成長』と呼ぶことも出来るからです。では、どんな変化であれば『成長』だと呼べるのでしょう。あなたはどのように考えますか?
私は、人が成長するとは、心に温かさが増し加わることだと考えています。失敗、挫折、試練、痛み。それらを乗り越える度、人は自分のみならず周りの人々への配慮と理解、寛容と柔和さといったものを生み出せる、より洗練された者へと成長していく。そのように信じているからです。
願わくば、と思います。
1年後、5年後、10年後の自分が今よりも成長したと胸を張れる生き方が出来ていますように。私の周りにいてくださる大切な方たちのために、未来、より一層の温かさを持って接することができる自分でありたいと心から望みます。
『事実は小説よりも。』も中盤を過ぎました。
読者の皆さまにはもう少しだけおつきあいいただけましたら、幸いです。
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