シリーズ、フィリピン留学記の続き、最終回です。
【最終日・土曜日】
フェアウェルパーティを終えて、滞在のホテルに戻った。1週間で日本に帰るのは私ともう1人、東京出身のビジネスパーソンのみ。他のメンバーはあと数週間、あるいはまだ数ヶ月、留学を続けるらしい。特に社会人の2人(OLと教授)は、様々な覚悟を持ってフィリピン留学に来ていることがわかった。偉いな、と思った。
忙しくて騒がしい都会だけど、人々はフレンドリーでのんびりしているパンパンガ州。そこにある名門大学の一角では、日本人留学生を相手に予想を超える英語のスパルタ教育がなされている。この特別な環境での留学が幕を閉じる今、たった7日間の滞在が果てしなく貴重なものだったのだと改めて思えた。
1週間の留学で自分の英語力にどんな影響がかったかというと、正直、そこまで大きな変化はない。ただ、一定の期間、必死で英語のみで考えたり話したり読んだり聞いたりって繰り返したことは、アメリカの大学にいた頃を少し思い出させるような感じで新鮮だった。当たり前だけど、日本にいる限りは得られない経験ではないだろうか。
ひとつ変わったことというか、感じたことがあった。それは頭の中の「言語回路」がリニューアルされた感じ。その回路は普段は日本語も英語もどちらもゴチャゴチャと混じっているのだけど、留学を経て、英語のみがスウッと回路の中を通るようになったように感じた。英語で考え、英語で発信する回路ができると、本当に面白い。ストレスなく、英語がスルスルと口から解き放たれるようになるのだ。これは一定期間、英語漬けになった時に人に起こる現象。うん、この感覚は久しぶりだ。嬉しい!
前言撤回。これって結構大きな変化だ。やっぱり、フィリピンに来られてよかった。
到着時と同じ運転手がホテルまで迎えに来てくれた。空港まで送ってくれるのだ。私のフライトは土曜日の午前2時だったので、フェアウェルの後は部屋に戻り、スーツケースのパッキングと部屋の片付けをしただけ。ニノイアキノ空港までは車で約2時間。国際便はフライト出発の1時間前に空港にいる必要があるので、逆算して迎えは午後23時だった。
午前1時前にニノイアキノ空港に着。荷物を運び出してくれた運転手に礼を言い、別れを告げてチャイナエアラインのカウンターへ。午前2時過ぎにニノイアキノ発、午前5時ごろ台北の桃園空港に到着。数時間待って乗り継ぎ、最終的に関西国際空港へ。日本に着いたのは午前の9時過ぎだった。
荷物を受け取り、空港の外へ出て少し驚く。11月の日本の空気が、記憶しているよりずっと涼しかったので。そうか。日本は秋、真っ只中だったのだ。ただいま、日本。
と、こんな風にして私のフィリピン留学は幕を閉じた。密度が濃い期間だったと思う。きっかけと好奇心と、ほんの少しの踏み出す勇気さえあれば、‥ 普段はなしえないことでもできるんだ、というちょっとした確信を持たせてくれたように感じる。
新しい世界に飛び込んでみるって、怖いけれど同時にきっととても楽しい。なぜなら、意外な自分の可能性を発見したり、思っても見なかった出会いがあったり、普段はできないことを観たり聞いたり経験したりして、ほんの少し、考え方に厚みができた実感を持てたりするからです。
それがわかっただけでも、留学に行けて良かったな、と今振り返って思う。
シリーズフィリピン留学記、これにて終了です。読んでくださって本当にありがとうございました。書いている内に、ひとりでまたどこかへ旅をしたくなりました。
次の目的地はどこにしよう?
Any ideas?
(完)
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