シリーズ、フィリピン留学記の続きです。
【第6日・金曜日】
月曜日から始まった授業は金曜日が最終日だった。授業中は一瞬たりとも気が抜けないほど英語で発言しなければならなかったこと。宿題が異常に多かったこと。それらにようやく少し慣れた頃、終わりを迎えるわけだ。
私がいた一週間、留学院には6名の日本人がいた。海外で日本人が集まる場所は、どうしても「日本の縮図」みたいになりがちなのだけど、あの場所でもそうだった。上手く表現できないけれど、故郷から遠く離れた国にいたとしても、日本人が数名集まれば、自然とそこには日本人社会が形成されるのである。それが好きだという人も、イヤだという人もいるだろう。私?時と場合によるけれど、基本は日本人で群れたくない方です。
当時は私以外には、5人の日本人が留学中だった。商社勤務のビジネスパーソン(オリエンテーションが一緒だった人)、T大で教授をしていたという40代の男性、K大の男子学生。この3人は東京、東京、神奈川の出身。あと2人は女性。ひとりは神戸の女子大生、もうひとりは東京でOLをしていた人。たった6人とはいえ、出身が東京近郊に偏るのはなぜなのか。
女子大生とOLの女性は、選択授業が異なっていたのと居住エリアが遠かったため、私はほとんど顔を合わせることがなかった。だから、グループ授業での私のクラスメートは、商社勤務の人、T大の教授、K大生ばかり。それぞれに優秀な方たちだったが、特に教授は記憶に残るユニークな人だった。頭はいいが、コミュニケーションが取りづらいのだ。
例えば、話しかけても絶対に目を合わせようとしない。また、英会話が苦手だったようで、いわゆる雑談、スモールトークはほとんどできなかった。校内は日本語禁止の環境だったのだが、教授が口を開くのは「僕は本当に英会話が苦手でねぇ・・・」とボソッと日本語で弁明する時だけということが多々あった。
ところが、である。確か、時事ニュースでディスカッションする授業だったと思う。その日、担当講師の取り上げたテーマが教授の心に火をつけたらしい。残念ながら何のトピックだったか覚えていないが、科学だったかテクノロジーだったか・・・とにかく私にはギリシャ語のようで、意味不明だった。渡された記事を、何度目をこらして読んでも、さっぱり内容が頭に入ってこないのだ。
しかしながら教授は、講師に意見を求められた瞬間からスイッチが入った。身振り手振りを交えて、そのトピックについて語り出したのだ。なんという立て板に水!講師も圧倒されるほどの知識と専門用語を用いた彼の熱演は、たっぷり10分続いたのであった。しかも全部英語で、ですよ。いや教授。あなた、めちゃくちゃ英語話せるじゃないすか・・・
後で分かったけど、どうもそれは彼の専門分野だったらしい。そうなのだ。人は言語が変わっても自分の得意とする分野なら聞いて理解できるし、語ることができるのである。
授業の終わりに「○○さん、あんなに難しいことを英語で語れるって、すごいです!」と私の感動をお伝えしたのだけど、「イヤそんな別に僕は~~~」などと要を得ない返事であっという間にどこかに消えてしまわれたことも印象深い。やはり目は合わなかった。あの人は果たして、学生と話ができるのだろうか・・・と指導者の立場としてちょっと思ったりした。否、多分できる。先生とか指導者とか呼ばれる人はプライベートでは意外と人付き合いが不器用な人が多い。経験上、よく分かる。なんとなく、納得した。
金曜日は最後の夜ということで、数人の留学生で食事に出かけることになった。トライシクルに乗り合わせ、フィリピンのバーを兼ねたレストランへ。フェアウェルパーティーが名目。ネオンがまぶしい。パンパンガは歓楽街で有名な都市でもあった。
仕事や就活の話題で盛り上がっている商社の男性とOLの女性とK大の学生。かなり酔った状態でマシンガンのように話していた。話しについて行けず。傍らには相変わらず目を合わさずひたすらグラスを傾け続けている教授。こちらもとりつく島なし。だから、隣でダイエットコークを飲む専門家になる私。
なんだかよく分からない状況だと思いながら、暑い南国での最後の夜を終えた。しかし、その夜初めて食べたフィリピンの肉料理、シシグは確かに美味しかった。(つづく)
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