オーディションの話しを続けよう。
エレベーターで上がった、とある国際ビルのカンファレンスルームがオーディション会場であった。天井の高い広い会場にはすでにモデルが70人ほど。モデルを探しにやって来た美容師やスタイリストらしき集団が30人ほど(プロも学生もいた)、そして今回のファッションショーの企画に携わるクライアント(スタッフ)が10人ほどいた。クライアントの中に一人、非常に目立つ男性がいた。なんということはない、普通のシャツにチノパン姿の中年男性だったが、身のこなしと目つきが違う。ただ者ではないオーラを醸し出しているのだ。あの人がモデルの生殺与奪の権を握るキーパーソンだろうと私は検討をつけた。
「オーディションを始めます。」とやはりその彼が言葉を発した。ニコリともしない。ワイワイとおしゃべりに興じていた美容師やスタイリストたちは一斉に静かになった。私は周りのモデル達がスッと背筋を伸ばすのを感じた。自分も精一杯姿勢を良くしたけれど、どうしても身長がかなわない。マネージャーの意向で「公式身長:164cm」とプロフィールには記載されていたが、実際の身長は162cm。身長が高ければ確かにショーには有利だけど、それよりもモデルは全体のバランスが大切だから、とマネージャーはいつも言った。体型キープの自己管理をして、高いヒールで美しく歩ければ、そこまで背の高さを気にせずとも良いと。それでも、明らかに自分よりタッパのあるモデルに囲まれて居ると、まるで自分が小さな子供になったように頼りなく感じた。
一体オーディションはどのように行われるのだろうかと私の心臓が再びドキドキと高鳴りだした頃、例の男性がこう言った。「モデルは会場の真ん中に並びなさい。」私たちは半分に分けられて、会場の真ん中に、一定の距離を空けてマネキンのようにズラリと並んだ。向かい側にはスタイリスト、後ろにはクライアント。広い会場なので、モデルからスタイリストやクライアントまで数メートルの距離がある。まるですでに一種のショーが始まったかのようだ。
「モデルはウォーキングをしてください。どんな歩き方でも結構です。ハーフターン(半回転)、フルターン(全回転)、ポーズ。すべておりまぜて、ショーで見せるように。」例の男性が言った。そうか、ここで、ウォーキングを見せるのか。オーディション案内にはウォーキングは必須とあった。さすがファッションショーである。モデル達は、思い思いに歩き出した。前に向かって歩き出し、クルッとターン。少し歩いて、もう一度ターン。エンドまでいってポーズ、もう一度歩いて、ポーズ。それぞれが得意なウォーキングを披露している。私は、ハーフターンが得意だった。フルターンも出来るが、たまにふらつくリスクを持っていた。なんせ自分は3ヶ月前まで、ハイヒールを履いたことがなかった人間なのだ。綺麗に歩けるようになるまで5週間もかかった自分がターンを習得できたのはまだつい最近なのである。しかし、何十対もの厳しい目に査定されている状況で、自信のないそぶりは絶対に見せてはならない。なぜなら、自分はモデルなのだから。どんなに仕事が少なくても、オーディションに立て続けに落ちていたとしても、心はプロフェッショナルでいようと私は決めた。
比較的得意なハーフターンを織り交ぜながら、真っ直ぐ歩く。舞台(と想定した)エンドでちょっとポーズ。もう一度ターンして、真っ直ぐに歩く…。緊張で時折ぐらつきそうになるのを気合いと体幹で支えた。しかし固く見えてはならない。あくまでも、優雅に、美しく… 視界の端で転んでしまったモデルを見た。ターンに失敗したのだ。まるで我がことのようにドキリとした。彼女はものすごく恥じ入った表情で、そこから急にペースを崩してしまった。同じ失敗をしたことがある自分には痛いほど気持ちが分かった。
クライアントとスタイリストの前をウォーキングで行きつ戻りつを繰り返すこと数分(実際はもっと短かったかも知れないが、永遠のように長く感じた!)、あの中心人物の男性が「そこまで!」とモデルにストップをかけた。再び会場の真ん中にマネキンのように整列したモデルを確認してから、彼はスタイリストたちを振り返り、こう言った。「近づいて見て、お好きなモデルをひとりずつ選んでください。」
モデルは70人、スタイリストは30人。選ばれるのは半分以下だ。私は、精一杯背筋を伸ばして立ちながら、沙汰を待った。(続く)
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