お金か愛か、どちらを選びますか。

大学で心理学の授業を取っていたときのこと。


ある日授業で「結婚するならお金があるけど愛がない人か、愛はあってもお金がない人か、どちらを選ぶ?」というディスカッションが始まったことがある。クラスの学生たちは16歳から22歳くらいがほとんど、まれに20代後半や30代がいた。


アメリカ人はたいがいがロマンチストである。夕食後思い出の曲をかけて2人でダンスをする高齢のご夫妻はたくさん居たし、バレンタインデーには正装して花束を抱え寮の彼女の部屋に迎えにくる男子学生もよく見かけたし、レストランでキャンドルの明かりの中、膝をついて男性が恋人にプロポーズする姿も珍しくはなかった(そして感動に涙をしながらOKする彼女と、その指輪を見て胸に手を当ててウットリする女友達までがデフォルト)。こういう出来事が日常にあるアメリカの人たちは、「愛し愛されること」に積極的だし、情熱的だと思う。


くだんのトピックについて学生達からは口々に意見が寄せられた。ただし「お金より大切なのは愛だと思う。」「いくらリッチな人でも好きじゃないなら結婚なんてできない。」「愛し合っているからこそ困難があっても乗り越えられると思う。」ほぼ全員が愛を選ぶとの意見だった。ロマンチストだ。


このクラスには私以外にもうひとりサエコさんという日本人の女性がいた。授業の後彼女はカフェテリアで私に語った。「やっぱりみんな若いわ。愛があればお金がいらないなんて、さすがは学生の意見よね。」サエコさんは27歳だった。日本の大学を卒業後、大手企業に入った。数年後退職し、長年の夢だった留学を実現させた優秀な人だ。当時の私は18歳。高校を卒業して数ヶ月の私にとって、社会人としての経験が長いサエコさんは言うこともすることも全てが大人だと感じていた。彼女はこうも続けた。「大体からして結婚なんて現実なんだから、貧乏人と生活していけるわけないじゃないの。愛だ恋だなんていずれは冷めていく不確かなものより、経済的に潤っている人と生きていく方が人生、はるかに安泰で幸せになれるっての。」実はサエコさんはこれを授業でそのまま述べていた。ゆえに愛を信じる学生達にものすごく引かれていたのだった。


私はサエコさんに賛成することはできなかった。サエコさんのいう「やっぱりみんな若いよね。さすがは学生の意見だわ。」の側だったわけだ。コーヒーカップを片手に勢いづく彼女に反対することははばかられたので黙っていた。そして「私もサエコさんくらいの年齢になれば、同じように考えるようになるのだろうか。」とボンヤリ思った。


あれから随分時が流れ、私は当時のサエコさんの年をとっくに追い越した。それでもこれまでずっと「愛かお金か」を問われたときの選択肢を変えることはなかったように思う。ただしちょっと条件が加わった。愛かお金かならば、愛を取る。ただしその相手は、愛する人を生涯をかけて守り抜く賢さと強さと誠実さを持つ人、あるいはそのように切磋琢磨する人に限る。といった風に。だから、大切な人に生き抜く力と将来につながる現実を確かに提示できる人は、誰かを愛する資格があるのだと信じる。


いつの時代もお金はとても大切だが、同時に目に見えないものに価値を見出し、見えないものを信じることのできる人生を私は歩みたいと思う。



お金と愛、あなたならどちらを選ぶ?


Be ambitious, boys and girls!

Be ambitious, dear friends.

現役英語講師の頭の中。