気まずくなることを覚悟していたけれど、特に大きな変化はなかった。これは、バイトの仲間たちのゆえだったと思う。なんとなく状況が伝わっていたようだった。彼らの気遣いのお陰で、私とその人が困ることはほとんどなかった。数週間もすると、ほぼ元通り話せるようになった。
4月を迎え、その人は大学生となった。
私は渡米を7月半ばに予定していたこともあり、午前中に英語の学習をし午後から夜までコンビニで働くという生活を続けていた。その人とは相変わらずアルバイトで週に数回、顔を合わせた。
こんなことがあった。
二人で店番をしている時だ。何かの話しのついでに、そういえばさと彼は言った。「そろそろ、〇〇さん(私の名字)って呼ぶのをやめてもいい?」と。突然、何?繰り返すけど、こんなことを気軽に話してくる人では断じてなかったのだ。私は別にいいけど、と答えながら内心では「なぜ今更?」と考えた。ところで、私には99%の小中高の友人達から認知されている呼び名というかニックネームがあった。それを提案してみたけど、「さすがに恥ずかしいって。」と速攻で却下された。小学校の時は呼んでたこともあったくせに、とちらりと思ったが言わないでおいた。結局、その人の希望で「Yちゃん」と呼ばれることになった。ニックネーム以上にひねりのない呼び方だ。だから「私も名字呼びはやめる。」と言った。自分も「リム」と呼んでいた時代があるんだよな、と思いつつ「これからは、”リムル”にします!」と命名&宣言した。えーっ、どこから「ル」が来たんだよと言う彼に、由緒正しい『ドラゴンクエスト1』の街のひとつ『リムルダール』からです。有り難く受け取れい、とふざけた。私たちは声を出して笑った。
こんな風に笑ったのは小学校以来だと思った。ただの「クラスメート」でいた頃。何のためらいも遠慮もなく話すことができたあの頃は、単純に楽しかった。ふっと思った。最初に「友人コード」を破った自分は間違っていたのだろうかと。すれ違い続けたこの数年間は不必要なものだったのだろうか。だが、そうだとは言い切れなかった。不器用ではあったけれど、それぞれの時代における自分の精一杯が良いものだと思いたかった。だから、信じることにした。私たちが歩んできた軌跡がいつか形となって現れる日が来ることを。そして、それが美しいものであると、その時の私は疑っていなかったのだ。
入学式からふた月ほどした頃、久しぶりに梨花と会った。キャンパスライフとか留学のこととか色々と話していたのだけど、やっぱり避けて通れないだろうと、その人を話題に出した。「梨花、リムルとはサークルで会うの?」
私の質問に、それまで明るかった友人の表情に影が差した。
(つづく)
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