フィリピンで英語漬けになった7日間・その③

フィリピンでの留学記、続きです。


【第2日・月曜日】

8時ちょうどに例のスタッフの方が迎えに来てくれ、部屋を後にした。昨晩(というか今朝)眠りに就いたのは2時半過ぎ。起きたのが6時半だから、眠くないとは言えない。けれど、初日の心地よい緊張が私の心をピッと張り詰めさせてくれる感じ。


学校へは徒歩10分の距離だという。朝が来ると周りの風景がよく見えた。滞在ホテルの周りはすごくローカルな町並みが広がっていて、路地裏に入ると茅葺き(ではないけれどそんなイメージの)の家々が連なり、子ども達が軽装でニワトリを追いかけている風景が見られる、牧歌的な景色が広がっていた。ただ、5分ほど歩くと急に大通りに出る。そしてそこからはガラリと雰囲気が変わった。6つは車線がある大通り沿いに整備された大きな公園、図書館や市役所、ショッピングモールなどがずらりと並ぶ大都会。私の通う学校はその地域の名門B大学のキャンパスの中に位置していた。だから、大学の設備を利用することも可能だった。留学中、私は度々図書館で宿題をしたけど、現地の学生気分が味わえてちょっと楽しかった。


大学の一角にある学校を案内してもらい、オリエンテーションを受ける。私と同時に入学したのはもうひとり。東京から来たというビジネスパーソンの男性だった。年齢は私より二つ上。「なぜ留学に?」を尋ねたところ、「上司に英語位身につけておけと言われて」との答え。上司の勧めで全然得意でなかった英語を独学で始めざるをえなくなったとのこと。ただ、ほとんど知識のない状態から始めてTOEICのスコアが600点台を越えるようになったと言っていたから、結構優秀な人だったのだと思う。この彼は私の唯一の同期生だった。


続いて授業のレベル分けテスト。レベルは7段階ほどあったと記憶している。入門、初級、初中級、中級①、中級②、中上級、上級。少しTOEICに似たペーパーテストを受ける。結果は「中級②」。う~、こんなものか。もうちょっと上、せめて中上級になりたかった・・・。だけど、このレベルがTOEIC750点程度だと知り、納得した。悔しいけど自分の実力のそのまんまなわけだ。レベルの決定後は、初授業に入った。初日は授業が4つ。


私はプライベート(個別)授業では発音とボキャブラリーのクラスを、グループ授業ではリーディング、ディスカッション、ニュース・時事英語を選択していた。全部で5つの授業が、午前9時頃から午後4時くらいまでの間に行われる。どの授業もイギリスやアメリカ人のネイティブスピーカーが担当していた。


講師達のほとんどは故郷で職をリタイヤしてフィリピンに移り住んだ人だった。職種は税理士、弁護士、大学教授、教師、通訳者、退役軍人など。結構な元専門家ばかり揃っていた。なので「楽しく英会話でおしゃべりレッスン」なんて授業はあり得なかった。とにかく厳しい。宿題が難しすぎて、うっかり泣きそうになったのは、秘密。


グループ授業は多い時で5名、普段は3名程度の学生が出席する小さなクラスだった。人数が少ないと言うことは、授業で意見を求められる機会が多いので大変なのだ。講師の話す、流ちょうかつ難しい語彙を必死で理解しようとしているのに、さらに自分の意見を述べることを厳しく求められる。フワッとした話し方だと容赦なく指摘が入る。例えば「私もその考えで賛成で~す」などと流そうものなら「その意見では君の考えがさっぱり理解できない。何がどう良いのか理論的にかつ具体的に実際の体験談を上げて、聞く側が納得できるように述べなさい」とか講師に突っ込まれる。えー、日本語でもそこまで考えて話してないのに。・・・意見を述べる際ここまで厳しく指導されたことは初めてだったと思う。にわかにアメリカの留学生活を「教授達はみんな、すごく優しかったんだなぁ」と切なく思い出したりした。1時間の授業中に休みなく脳をフル回転させた後は、宿題と予習課題がめちゃくちゃ出される。望んで来たとは言え、相当なスパルタ教育ですよ。


初日はさすがにちょっと疲れて帰路についた。でも部屋に帰っても、山ほどある宿題を仕上げなければならないのだ。う~、果たして今日中に終えられるのだろうか・・・ (つづく)