事実は小説よりも。【小学生編】

事実は小説よりも奇なり、という言葉がある。


世の中にあふれる恋愛ドラマや映画は「こんな偶然あるわけない!」という設定で満ちている。しかし、あなたはご存じだろうか。時に、小説より脚本よりもっと、日常が不思議と奇跡を見せてくれることを。


これから記すのは、私が経験した、十数年に及ぶ『事実は小説よりも奇なり』なストーリー。映画やドラマの脚本以上に、もどかしくすれ違った、友達以上恋愛未満の記録である。よろしければ、ほんの少しおつきあいを。


その彼とは、小学5年生の時に初めてクラスメイトとなった。

家が近かったわけでもないし、共通の友人がいたわけでもない。廊下ですれ違ったことくらいはあったのだろうけど、全く印象になかった。小学校時代は背が低かった私。と、そう変わらない目線の高さのその人と、2学期に同じ班となった。その人が班長で私が副班長だったため、休み時間や放課後に班の雑用を一緒にすることが増えた。彼に抱いた印象は「普通にいい奴だな。」くらいのもの。


仕事をサボることはないし、任された役割はこなす。「ちょっと、そこ!ちゃんと掃除してよ!」と口うるさい女子生徒に怒鳴られるタイプの男子ではなかった。ゆえに安心してその人と班の用事をこなすことができた。最初は名字に「くん」をつけて〇〇くん、と呼んでいたのだけど、そのうち他の男子にならい、彼を「リム」とニックネームで呼ぶようになった。でも、実はこの呼び方は小学校の頃だけ。中学校に上がると再び「〇〇くん」に戻った。高校を卒業して数ヶ月ほどは名前を元にしたオリジナルなニックネームだったし、その数年後には名前を呼び捨てにする時代が一瞬だけ訪れたけれど、結局は元の「〇〇くん」に帰った。


名前の呼び方は、相手との関係を表すものだと、今、つくづく思う。


その人はクラスの中ですごく目立つ、ということはなかったけれど、なんとなくいつもリーダーの補佐を任されるような人だった。口数が多い方でなかったけど、気の合う男子たちとお笑い芸人の真似をして盛り上がっているところをよく見た。手先が意外と器用だったので、図工の工作を手伝ってもらったこともある。弟が二人いるらしかったので、面倒見は悪くなかったのかもしれない。昼休みは校庭でサッカーに夢中なようだった。5年生に続いて6年生も、その人と私は、そこそこ仲が良いクラスメイトとして、なんとなく近くで過ごした。


私が通っていた小学校には、6年生が「卒業制作」を行うという慣習があった。私たちのクラスは「水戸黄門」の演目で動画を作ることになった。担任教師は、時代劇「水戸黄門」のオープニングとエンディングを見事に組み入れた、本物そっくりのドラマを作ってくれたものだ。あの時にはクラス中が興奮で沸いたものだ。


撮影は順調に進んだ。黄門様ご一行がお団子屋でひとやすみの場面。大黒屋の手下たちに追われる町娘を一行が助ける場面。借金の形に全てを奪われ、さめざめと泣く父娘の場面。悪代官と大黒屋が密会をして「黄金最中」を手渡す場面。戦闘の場面。水戸黄門様の印籠を掲げる場面…。撮影時、出演していないキャストや裏方のクラスメイト達が見物しているのだけど、ドラマ内の決まり文句や名台詞(悪代官の「これはこれは上手そうな黄金最中よのう。」とか、黄門様の「助さん、格さん、少しこらしめておやりなさい。」とか、格さんの「ひかえおろう!この方をどなたと心得る!水戸光圀公であるぞ!一同、頭が高い!」とか)が飛び出す度に、皆は笑いをこらえるのに必死だった。


印象的だったことがあった。追われて逃げて来た町娘役(の私)をその人が助けるという演出があった。私は、私を庇って立ちながら、悪役たちを𠮟りつけるその人の後ろ姿を見ながら「あれ?」と驚いた。「リムって、こんなに背が高かったっけ…?」出会った頃は同じくらいだったのに、いつのまにか大きくなっていたのだ。私が背伸びをしても届かないほどに。「娘さん、お怪我はありませんか?」と振り向いた彼に、「は、はい。助けてくださってありがとうございます。」とお礼を述べた、私の戸惑った表情は演技だけではなかったかもしれない。


渾身の卒業制作ビデオは非常に良いものに出来上がった。クラスみんなで視聴したし、お昼の全校放送でも上映された。何度もその動画を観たけれど、少し後になってから、ハッと気づいた。私がいつも動画の中に探していたのは、その人の姿だったことに。


数週間後、小学校を卒業した。クラスメイトたちと交換したプロフィール帳を開く。めくる手が止まった。その人のページだ。こう書いてあった。


『Yへ。6年1組最高だった!次も最高の中学生活にしようぜ! リム』


翌月、私たちは中学校で再会を果たした。

(中学生編へつづく)