フィリピンで英語漬けになった7日間・その⑥

シリーズ、フィリピン留学記の続きです。 


 【第5日・木曜日】

通った留学院はアクセスが非常に良かったので、出かける場所には事欠かなかった。私は授業の合間に学校の目の前にある大きな公園のカフェスタンドで搾りたてのジュースを買って散歩したり、大きなショッピングモールで買い物をしてみたり、少し裏通りにあるローカルなマッサージ店に寄ってみたりしたものだった。


もの珍しさや楽しさが溢れるフィリピンでの生活だったけれど、大変だったことが二つある。

一つは大通りの交通量が半端なかったこと。常に車、バイク、トライシクル(三輪自動車のタクシー)がすごい勢いで途切れることなく走っている。横断歩道はどこにもなかったので(!)、歩行者は道を渡りたければ、乗り物を避けて自力で向こう側に到達するしかない。これがもう、最初の二日間は恐怖だった。想像してください。何十メートルも先の道の向こう側に、すごい勢いで絶え間なく行き交う乗り物たちを避けながら、渡る様子を。日本と違って「歩行者優先」なんて親切なドライバーは皆無。車に轢かれてもバイクにはねられても、完全な自己責任。


ところが現地のフィリピンの人たちはためらうことなく、スイスイと道を横切る。時には道のど真ん中で車とトライシクルの狭間でうまくインターバルを入れつつ、あるいは一瞬バイクが渋滞した流れをうまく利用して、狂ったようにスピードを出してくるトラックを避けつつ、ササッとあっち側に到達。老若男女問わずに、だ。すごい。


とにかく恐怖を感じていた私は、初日はスタッフの女性にピッタリ張り付いて向こう側に渡った(学校は大通りの向こう側だったので道を渡るしかなかったのだ)。翌日は、現地のフィリピン人たちをよく観察して、彼らの真似をしながら、また彼らの後に着きながら、何度も道を渡ってみた。それを繰り返したおかげで、3日目の夕方には平気で渡れるようになった。慣れってすごい。

しかし、今考えても、高速道路並の幅の道。ビュンビュンとすごい勢いで車が行き交うあの道を自力で歩いて渡ることは、日本人の感覚からは異常だと思う。日本であの交通量の道を徒歩で渡る人物がいたらニュースになる‥とまではいかないけど、SNSの動画に上げるくらいはされそう。「この道を歩いて渡る人がいたんだけどwww」とか書かれてさ。


二つ目に大変だったことを記す。
辛かったことと言ったほうがいい。それは、ストリートチルドレン、すなわち子供の物乞いが異常に多かったことだ。パンパンガ州は都会だったけれど、どんな街角にもみすぼらしい格好の子供たちがおり、施しを求めて近づいてきた。それまで東南アジアなどを旅した際などにホームレスを見たことはたくさんあった。けれど、子供の物乞いがここまで多かったことはなかったと記憶している。

基本的にストリートチルドレンには金も物も渡してはならない。渡す行為が悪いわけではないけれど、1人にお金を施したからといって彼らの惨状が変わることはない。むしろ周りにいる他のホームレスの子供たちを我も我もと引き寄せ、収拾がつかなくなるだけだ。

私が最も心を痛めた出来事があった。
木曜日、図書室で出会ったジョセフとの待ち合わせのためショッピングモールに向かって通りを歩いていたときのことだった。ふと気づくと目の前に母娘がいる。どちらも伸ばしっぱなしの髪を結うこともせず、顔や手は汚れ、お世辞にも清潔ですねとは言い難い格好だった。

母親は30代くらいだろうか。娘は2歳頃と見えた。と、気づいた瞬間に私の胸は詰まった。笑って怒って泣いて、可愛い時期の2歳頃。なのに彼女は痩せていて、とても小さい。母親と私の目が合った瞬間、信じられないことが起きた。母親は娘に何事かを囁いた。すると、娘が私の方におぼつかない足取りで近づいて来たのだ。小さな両手を差し出し、何事かを問う。タガログ語は理解できないけれど、その子が金をくれといっているのは明白だった。細い、赤子のような手を出して必死に私を見上げる女の子。それも、母親の指示で。母親は薄く笑っていた。娘を見た外国人の女が哀れみを感じていると確信したからだと思う。ね、子供が可哀想でしょ?さぁ、お金をちょうだい‥ 

言い難い苦しさを覚えた。いえ、やりきれなさ?悔しさ?苛立ち?それとも、悲しさだろうか。気持ちがグチャグチャになってもう、分からなかった。


結局、何も与えることはせずその場を離れたのだけれど、あの小さな女の子のこと、彼女のこれからの人生を思うと、その日はあまり明るい気持ちになれなかったものだ。



ジョセフと再会し、カフェで彼の勧めたマンゴーがたくさん入った南国感あふれるパフェを食べた。聞きにくいけれどその時に、フィリピンのストリートチルドレンの多さや、そのことを国が問題として取り上げようとはしないのか、などを控えめに聞いてみた。

「僕の国は問題だらけなんだ。」と彼は言った。そしてその問題を解決するよりも他の国に出て行って新しい人生を始めたほうが手っ取り早いと考える人が多い。「だからフィリピン人は勉強を頑張って技術を身につけて、海外に移住を考える人が多いんだ。僕みたいにね。」ただし、とジョセフは続けた。みんながそうできるわけではないよ、と。

きっとその通りだ。華やかなショッピングモールで買い物をする家族がいる傍で、通りにはストリートチルドレンの家族がいる。あの子たちは、他の世界を知らずに、施しを求めることが生きる手段であり、生きる目的だと思い続けるのだろうか‥

明るくて親切で陽気な人たちがたくさんいるフィリピンの国で、深く考えさせられた1日だった。(つづく)