フィリピンで英語漬けになった7日間・その⑤

シリーズ、フィリピン留学記の続きです。 


 【第4日・水曜日】

スティーブン先生。急に名前を出すけれど、この人が私の発音矯正クラスの先生だった。当時私は、自分の英語の発音を上達させるために必死の時期だった。様々な発音矯正のメソッドを試したり、講座を受講したり、発音指導者に師事したりして、努力していたのだ。だから、短期留学にあたり、ここでも得られるだけのものは得るぞ!少なくとも発音に関しては・・・!とかなり息巻いていたのだ。


スティーブン先生は独特の世界観を持った人だった。最初の授業で先生の部屋に入った私を見た先生のひとこと。「ワオ!素敵なデザインのTシャツだね!それはどこで手に入れたんだい?」Tシャツは白地にちょっとオシャレな絵(サングラス、ハイヒール、リップ等コスメグッズなど)がカラフルに描かれていた。「ありがとうございます、お気に入りです。」礼と共にサラッと流そうとしたのに、スティーブンに「どこで買ったんだい?有名なデザイナーが描いたものだろ?」と再度突っ込まれる。通販で適当に買ったものです、と言いたいけれど、「僕のデザインを見る目は確かなんだよ。」と輝いた目で自らの利きTシャツぶりを申告する先生を前に、言えない。彼の押しの強さに、私が授業の前途多難さを予期した瞬間だった。


アメリカ人のこの先生。発音矯正の指導は結構的確だった。だけど、雑談が長い。先述のTシャツの件についても「実は僕はTシャツのデザイナーになりたかったんだ」から始まり、自らの半生について語る、語る。詳しくは忘れてしまったけど、先生には優れたデザインセンスがあったらしい。さらにそれらを再現する技術を持っていたのと、Tシャツの柄にかけるとてつもない情熱があったのとで、かつて故郷では将来を期待された鬼才の若手デザイナーになると思われていたそうだ。が、様々な理由からデザインの道をあきらめ、経営コンサルタントとして数年間にリタイアするまで働いていたらしい。それなりに成功していたコンサルだったので、早期退職後は南の国でのんびり余生を過ごしたいと思った。「で、今はフィリピンで暮らしてるってわけ。」なるほど。そうなのか。


「幸せな人生ですね。今はご自身が願った場所で暮らせていらっしゃるから。」と返した私に「幸せ?とんでもない。」と先生。えっ、なんで?予期せぬ反応にややひるむ私。「こんな狭苦しいオフィス(と部屋中を見回す)でチマチマ英語の指導者としてやっていくなんて。最悪とは言わないが、僕は全く満足はしていないね。いつか、もっと好きなことをして生きていきたい。」だそうだ。成功してリタイアして、悠々自適に見えた先生にも悩みがあるようだ。目標を持って生きるのは素晴らしいことだと思う。ただ、わざわざ生徒(私)の前で言わなくても良くない?とちょっと思ったけどさ。


私は話し易いと思われたのか、単にスティーブンが話し出すと止まらない性質なのか定かではないけど、先生の人生語りはまだ続きそうだった。そろそろ20分が経つ。もういいだろうと思った私は、急に話しを変えることにした。「あ~~そうだ!先生。私の英語の発音レベルって100点満点で言うと、どれくらいのスコアですか?」不意打ちに、虚を突かれた表情。が、彼は一瞬で自分の立場を思い出したらしい。突然指導者らしい表情になり、答えた。


「Y、君の発音は分かりやすい。さらに、普通の日本人では到達できない部分を多くクリアしている。しかし、苦手と思われる単語はあいまいになるね。また、日本人特有の語尾が途切れる欠点をわずかに持っている。全体としては悪くないけれど、スコアにするなら・・・そうだな。82点くらいだろうか。」とのことだった。82点。正直言うと、悔しかった。特に近年、自らの発音矯正に力を注いできたから。また、生徒たちに英語のスピーチやプレゼン指導をする際、発音の重要さを誰よりも説いてきた自分が、8割をわずかに超す程度の発音力しか持ち合わせていないと知らされるのは辛かった。反面、言いにくい現実を明確に示してくれたスティーブンに感謝した。指導者として日本にいる限り私は、発音を褒められることはあっても正しく批評・批判してくれる人はほとんどいない。自分の現状や立ち位置を明確に述べてくれるのは、ネイティブスピーカーでかつ発音を指導している人以外にはいないのだから。と、私は、先生に思ったことを正直に伝えた。


変わった人ではあったけれど、スティーブンの助言で忘れられないものがひとつある。それは、こうだ。「Y、君は自分の声が好きかい?僕は断言しよう。人が自分の声が心から好きだと思えるとき。その時、発音のスコアは100点になっているだろう、と。」


その言葉は心に残った。私は小さい頃、自分の声が嫌いだった。か細くて高いのにハスキーボイス。特に小学生の頃は特徴のある自分の声をからかわれることがあり、コンプレックスに感じていたのだ。大人になってから、声楽を習い、コーラスで歌い、演劇やミュージカル出演のために四六時中声を変えるトレーニングをする機会を得た。お陰で、声を出すことを苦手ではなくなった。それでも「私は自分の声が大好き。」と胸を張って言えたことはなかった。ドキリとした。82点のスコアは、正に私の声への評価そのものだったのだ。


短い留学期間で大きな変化はなかった。が、帰国後も地道に発音の訓練を続けた。また、その世界では第一人者である、ハリウッドスターたちの発音矯正も担う指導者に弟子入りし、師事した。また司会業に興味を持ち、声を通して人を幸せにする仕事に触れる機会を得た。かつて苦しかった「発音矯正」のトレーニングが楽しくてしょうがなくなってきた頃、私は気づいた。自分の声を好きになっていることに。その頃から、ネイティブスピーカーに英語圏出身の人だと間違われることが増えていたのであった。スティーブンの言っていたことは、正しかった。あきらめないでよかったと、今は思う。


スティーブン先生は私と話しが合うと思ったのか、「僕は水曜日の夜には教会に行くのだけど、Yも一緒にどうだい?」と誘ってくれた。フィリピンはキリスト教国なので至る所に十字架の建物を見かける。スティーブンの行きつけの教会は、水曜日に信者が集まり、聖書のお話しを聞くらしい。アメリカに住んでいた頃にいつも訪れていた教会で受けた、温かい笑顔を私は思い出した。


「教会って良いところですよね。みなさん親切で、温かくて・・・」二つ返事でOKした私に、スティーブンは満面の笑みでこんなことを言った。「本当に良いところだよ。特にフィリピンにいるとアメリカ人はハリウッドスターみたいに思われる節があるんだ。僕なんかが教会に行くと、もう大人気だよ。Y、日本人も憧れの対象になると思うよ。みんながサインして~って言ってくるかもしれないよ。参っちゃうよね。」ですと。何かがズレている気がしたけれど、本人がすごく嬉しそうに語ってくれたので、それ以上は何も言うまいと決めた。


その日の夜は、素敵な教会で、明るくて親切で優しいフィリピンの方達と一緒に賛美歌を歌ったり、牧師さんのお話を聞いたり、コーヒーをいただきながらお話しをする時間を持つことができた。本当に素敵なひとときだったと、今も思い出す。孤独さを感じなかった、夜だった。(つづく)