弱さの中で得たもの

今年の夏は穏やかなのに期待とワクワクに満ちながら過ぎていっているなと感じます。

仕事では、数年ぶりに感染症の憂いなしにスピーチ大会出場者を指導をできましたし、今年度始動の教育プログラムも今のところ順調です。一年間勤めてくれた講師を英国に無事送り出し、新たな講師をお迎えすることもできました。また、夏休み中はOBと現役生徒たちが後輩の英語指導に尽力してくれるという素敵な機会を得ることができました。



プライベートでは、約30年ぶり(!)の友人と不思議な再会&交流をするようになったり、ブログを再開させてみたり。あとはすごーく久しぶりに映画を観たりとか。控えめに言って、映画館のポップコーンは最高。



昨年の夏を思うと、奇跡です。実は私は、昨年の春頃からやや異常を感じていた体調を、7月に本格的に崩してしまったのでした。

おかげで一年前の夏の間は仕事を休まざるを得なくなりました。特に最初の1週間は床から起き上がれなかったせいで自分が自分でなくなったような絶望を感じたものです。

仕事の面ではたくさんの約束を反故にせざるを得なくなりました。多くの人たちの期待や信頼を裏切ることになったのが何よりも辛かったと記憶しています。

 
けれども、あの夏を越えたからこそ知ったこともありました。それは、弱さの中にいる時にしか知ることのできない幸いがあるということに気づけたことです。

長い間自分は、先生という立場上、生徒や保護者や部下の辛さや弱さに寄り添うことはしても、自分は弱さを見せてはならないと考えて来ました。

それは私の問題や不安を相手を見せることで相手に負担をかけたり、悩ませたりしたくなかったからです。指導者は常に頼られるに値する強い存在でいるべきだと信じていました。そして、多分ある程度は‥そのように強い先生としてやって来られていたのだと思います。その時までは。

自分の意思に反して体が動かないという状態になって初めて、人に自分の弱さを曝け出すことを甘んじて受け入れざるを得なくなったのでした。

ですので、多方面にキャンセルや休暇の願いを連絡した時は息苦しいほどでした。復帰の目処が立っていなかったため、生徒たちや保護者の皆さん、あるいは他の講師からどのような反応が来るのか、恐ろしかったのです。

しかし、私が生徒や保護者の方々から受け取ったのは、全く異なる反応ばかりでした。以下は、いただいた皆さんからのお返事の一部です。

「Y先生、そんなにしんどい思いをされていたのに気づかずに本当にごめんなさい!どうかゆっくりお休みくださいね。ご回復をお祈りしています。」

「Y先生の復帰を子供達共々ずっとお待ちしています。みんなでずっと心配しています。無理せず、早く良くなられますように」

「先生、いつもいつも大変な子供たちを相手にしてくださってありがとうございます。お身体大切になさってください。先生に教わったことを家族で復習しておきますね」

「いつも一生懸命頑張ってくださるY先生だからお疲れになったのでしょうか。心配です。今は何も考えずゆっくり心と体を休めてください。お大事にしてくださいね」

「Y先生。がんばらないをがんばる、ですね」

「先生が体調を崩されたとお聞きして本当に驚きました。お疲れが溜まっていらっしゃるのかと思います。十分休養をとって、焦らずに回復してください。」

「子供たちも私もずっと待っています。でも待っているというとプレッシャーになるかもしれませんね。元気になるまでは気にせずに、休まれてください。」

「お大事になさってください。子供はいつもY先生の授業を楽しみにしています。お帰りを待っています!」

「先生のご体調が悪かったことに気づかず本当にすみません。しっかりお休みになってください。私はいつでも臨機応変に動けますから、ご心配なさらないでください」

スマホに届くたくさんの通知。
少し回復してから、ひとつひとつのメッセージを開き、目頭が熱くなりました。涙で文字がぼやけて読めないほどです。

また、「Y先生は真面目なので返信を気にされると思い、送らないようにしました」と、いう方もいらっしゃいました。なんと温かい配慮だったことでしょうか。

生徒の力になれず保護者のために何もできない、役立たずでダメな指導者だと思っていた私に、みなさんは温かい言葉をかけてくださり、優しい態度を示してくださったのでした。実際、いつ復帰するとも知れない私の休暇中に、スクールを辞めた方はおひとりもいませんでした。

『苦しみにあったことは私にとって幸いであった。私はそれであなたの掟を学んだ。』

聖書のことばです。

辛い試練は、突如として人生にやって来ることがあります。もちろんできるなら避けて通りたい。けれどもブラックアウトした世界の中にいることでしか見えない希望の光があると、私は知りました。

それは、普段(おこがましくも)自分が理解したい、支えたいと思っていた方達に、実はもっと支えられ理解されていたのだという、心が震える発見です。


弱さの中で生きること。
それが得難い強さに変わることを、今は信じています。


ひぐらしが鳴く頃になりました。そろそろ季節が変わるのでしょうか。夏の終わりに。昨年を思い出して、今ひとたび、幸いな思いになった私でした。